天正18年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置により所領を換えられ米沢から岩出山に移った伊達政宗は慶長5年(1600)関が原の合戦後,領内中央の国分荘青葉山を新たな居城とし築城を開始した。ここは旧領主国分氏の居城千代城があり,千体の仏像を納めた仏堂があった ことから「千代」と呼ばれていた。政宗は漢の文帝建造の壮大な宮殿「仙遊観(仙台)」を唐の詩人・韓広羽が讃えて詠んだ 漢詩「同題仙遊観」の中の「仙台初見五城楼」から,これを「仙台」と改めたとされる。仙台城は広瀬川を堀と見立てた天然の要害で,大橋を渡った東側台地に町割がなされた。町割は築城開始から時を待たずに始まり,慶長8年(1603)には岩出山から約5万人の士民が 仙台城下に移ったという。
105 紫明神 Murasaki myojin
2007.02.03
文献に修験の青山院と元柳町にあった村境明神を合祀して紫明神としたとありました。お寺と神社の併祀?今はしっかり神社です。
✽ 所在地:青葉区立町4-18
106 為朝神社 Tametomo jinja
2007.02.03
文化4年(1807)蝦夷地千島へのロシア船侵入に対する出兵の指揮を国元で執った仙台藩奉行,中村日向義景が派遣部隊の神明加護と士気高揚のため, 出陣の文化5年(1808)正月に建立。戦災で焼失したが再建された。
✽ 所在地:青葉区川内中の瀬町23,主祭神:鎮西八郎為朝,例祭:3月15日
107 櫻岡大神宮 Sakuragaoka daijingu
2007.02.03
宮城郡荒巻村(現荒巻神明町)の神明社(伊勢神宮の分社)を伊達政宗が元和7年(1621)伊勢堂山(北山)に移し,あらためて伊勢神宮の御分霊を勧請し,合祀して神明宮と称した(現伊勢神明社)。天和2年(1682)4代綱村が社殿を拡張し,以来,藩主継承時に参詣することを常とした。明治5年(1872)現在地の北東に遷り同8年社号を櫻岡大神宮と改めた。大正15年(1926)社殿老朽化に伴い,八木久兵衛氏の寄進により現在地に社殿を造営し移転した。
✽ 所在地:青葉区桜ヶ岡公園1-1,主祭神:天照皇大神,豊受大神,例祭:10月17日
鳥居をくぐって社殿に向かう。短い参道ではありますが,公園と一体化していて広く感じます。
たまたまですが今日は節分。この写真は午前中ですが,午後には豆まきがあるとのことでした。多分,その準備で社殿には幕が張られて半分だけのお披露目です。
仙台有数の都市公園である西公園の中。広瀬川や定禅寺通と合わせた散策コースの途中にあります。西公園は別名「桜ヶ岡公園」ともいい,東の榴ヶ岡公園と対をなしています。どちらも園内は桜の名所,都心に近く花見の季節は夜遅くまで大賑わいです。
平成29年(2017)4月10日再訪
もう花見会場は準備万端で露店も営業していますが,花だけが「開花はしたものの・・・」という状況。でも,この陽気で満開ももうすぐのようです。
地下鉄工事も終わって周囲も綺麗になりました。鳥居横に「縣社」の標柱。拝殿前には新たな素木の鳥居が出来ています。
108 仙臺大神宮 Sendai daijingu
2007.02.03
明治4年(1871)伊勢神宮の御神徳発揚のために神宮教院が開設され,以降,全国各教区ごとに本部を設置した。仙臺大神宮はその奥州本部として明治14年(1881)伊勢神宮から分霊し「神宮教奥州教会」として設立された。のち神宮奉賛会宮城県本部を経て, 昭和21年(1946)仙臺大神宮となった。現在地は藩政時代,政宗の有能な家臣で寛文事件(伊達騒動)でも功労者となった家老茂庭周防邸だった場所である。
✽ 所在地:青葉区片平1丁目3-6,主祭神:天之御中主神,例祭:10月17日
緑の屋根が眩しい。
本殿は拝殿の左脇から真っ直ぐ本殿に参拝できる造りになっています。仙台の名称起源である千躰佛の一部も祀っているそうです。
伊達政宗が勧請した櫻岡大神宮と神宮教院の直轄である仙臺大神宮が近くに座しているのはやはり縁でしょうか。こちら仙臺大神宮は伊達家一の家臣である茂庭氏の屋敷跡に構えます。茂庭周防は政宗の興隆時代からその後の伊達騒動まで,伊達家の繁栄を支え今の仙台に繋げた一人です。
109 蠣崎神社 Kakizaki jinja
2007.02.03
伊達政宗に功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。年老いたため慶長19年(1614)の大阪出陣に漏れた事を悲しみ本丸の崖から飛下り死亡したという。これを弔うため,その地蠣崎(川内追廻)に葬り,馬上(うばがみ)蠣崎神社を建て追廻馬場の守護とした。明治4年(1871)に現在地,片平丁の修験良覚院跡に移転。五島墓(ごとはか)さんとして親しまれた。子供の馬脾風(ジフテリア)除けの信仰がある。(境内説明板)
✽ 所在地:青葉区片平1丁目2-18,主祭神:保食神,磯良神,例祭:8月1日
境内には修験道の開祖と云われる役行者(えんのぎょうじゃ)小角(おづぬ)の石像がある。良覚院にあったもの。
境内説明板によるなら「馬上(うばがみ)蛎崎神社」というのが正しいのかもしれませんが,ここでは宮城県神社庁の表記を採用しました。鳥居を入ってすぐ左に役行者小角の石像があります。奈良時代,山岳修行で霊力を得た呪術者で,神をも従える力があったそうです。
110 藤坂神社 Fujisaka jinja
2007.02.03
由緒等は調べきれていませんが,大正から昭和にかけて道路向にあった仙台平の織物工場の織姫様が祀られているといいます。(寄り道・道草 仙台まち歩き/西大立目祥子著・河北新報出版センター)
✽ 所在地:青葉区大手町6-2
社殿左の階段は仙台七坂の一つ「藤ヶ坂」。社号はこれに因むものと思われます。
120 穴蔵神社 Anagura jinja
2007.02.03
古くは米沢にあって伊達氏の守護神として祀られていた。これを伊達政宗が伊達郡梁川に遷し,後に政宗が若林城隠居の折,近くの荒井村に遷した。更に万治年間(1658~60)現在地より上流,広瀬川崖上「鈴ノ沢」の洞窟に青葉城に向けて建てられ「穴蔵稲荷大明神」と称した。西に向かっていたので「夕日明神」とも言う。天保6年(1835)洪水で崖が崩れ流出したため下流の現在地に遷座した。石段脇の石碑「稲荷神祠頌」は享和元年(1801)の作。天保6年に埋没したものが昭和8年(1933)評定河原埋立工事中に発見され現在地に再建された。
✽ 所在地:青葉区霊屋下21-16,主祭神:宇迦之御魂神,例祭:9月19日
瑞鳳殿,瑞鳳寺方面からの参道はほぼ平坦に境内中段に続きます。中段から上段への石段は新しい。平成15年に改修されたようです。
石段の右下に置かれている「稲荷神祠頌」にはこの神社の由来が記されています。100年の間,川の中に埋まっていたものです。
平成29年(2017)3月29日再訪
本殿の前に縦拝殿。中に入っていって参拝です。本殿は流れ造。後ろにたくさんの末社が置かれています。やはり西に向かって配置されているようで,その先には青葉山が見えます。
境内中段へは瑞鳳寺方面からとは別に下段の住宅地方面からも参道があります。こちらには階段に赤鳥居が二つ。
121 正宗山瑞鳳寺 Zuihoji
2007.02.03
臨済宗。藩祖政宗公の菩提寺として寛永14年(1637)2代忠宗が創建。仙台藩一門格寺院。本尊は釈迦・文殊・普賢の三体で,平泉毛越寺から遷したもの。山門は東京白金町伊達屋敷の門を模したもので昭和46年(1971)完成。門前の下馬石は忠宗公七回忌に際した4代綱村の建立。大阪天王寺の下馬碑を模写し坂下に立てたもので,昭和46年(1971)山門前に移された。本堂前の薬医門は3代綱宗側室椙原品(すぎはらしな)邸にあったもので俗に高尾門といわれる。昭和37年(1962)移転修築。
✽ 所在地:青葉区霊屋下23-5,本尊:釈迦如来(脇仏(文殊菩薩,普賢菩薩)と併せ釈迦三尊/平泉毛越寺より)
順に鐘楼,高尾門,高尾門の先にある小さなお堂。ただ,寛永14年忠宗公の寄進によるという梵鐘は本堂前に別置きされていました。高尾門は市内支倉町からの移築。伊達騒動により若くして隠居させられた綱宗の側室,遊女・高尾太夫の名をとり高尾門と呼ばれます。三間一戸の薬医門。江戸中期の建築で,平成7年一部修復。次の小さなお堂は栄西堂(臨済宗の祖で日本にお茶を伝えた栄西禅師の像を安置)でしょうか?
政宗公は寛永13年(1636)4月18日にここ経ヶ峯を訪れ,この地を自身の埋葬場所と定めたといいます。2日後の20日に江戸に参勤し5月に亡くなりました。 自らの死期を悟って死に際も潔かった政宗公です。
※2017.3.29再訪
本堂,山門,鐘楼,高尾門の写真を差し替えました。
122 瑞鳳殿・感仙殿・善応殿 Zuihoden,Kansenden and Zennoden
2007.02.03
この地は鎌倉時代に満海上人が大般若経典を埋めて供養したことから「経ヶ峯」と呼ばれる。伊達政宗がここを自らの墓所とし,2代忠宗,3代綱宗も隣接して葬られたことから,御霊屋(おたまや)として敬われた。瑞鳳殿は寛永13年(1636)70歳で没した政宗公の霊屋。2代忠宗が翌年建立した。昭和20年仙台空襲で焼失したが,昭和49年再建に着手し同54年完成した。感仙殿は万冶元年(1658)60歳で没した2代忠宗公霊屋。寛文4年(1664)4代綱村が創建。善応殿は正徳元年(1711)72歳で没した3代綱宗公霊屋。享保元年(1716)6代吉村の創建。感仙殿,善応殿は昭和60年に再建された。
✽ 所在地:青葉区霊屋下23-2
長い参道は大きな杉に囲まれて昼なお暗い。
瑞鳳殿は全面超極彩色であでやか。RC造ですが,それに関係なく美しい。
瑞鳳殿域への門,涅槃門。施設群唯一の木造再建です。この上に拝殿,唐門,本殿と続きます。
極彩色の拡大!です。どこまで大きくしても華やかです。
順に感仙殿山門,感仙殿,善応殿。いずれもシックないでたち。瑞鳳殿に比べれば装飾は少なめですがそれでもすごい。黒と金の相性が抜群です。RCによる戦後の復元ではありますが,そんなことを感じさせない豪華絢爛さで,紛れも無く仙台の宝です。入場550円は高くないです。鬱蒼とした杉林の中にあるきらびやかな世界は,観光客で満ちても静けさを保っています。
123 銭形不動尊 Zenigata fudoson
2007.02.03
藩祖政宗公が仙台藩のお金(仙台通宝)をつくるときどんな型にしようと考えていた。そのときお不動様が現れて,こんな型にした方が良いと教えてくれましたので,その型を石に彫って銭型を作った。その後,その銭型が不要になったので,反対側の面にお不動様を彫り,青葉山の見える花壇にお宮をつくって祀りました。大正十年頃までお宮がありましたが,その後,壊れてお宮は川に流され,お不動様は川に落ちてしまいました。その後,広瀬川の堤防を作る時,川から引き上げ,花壇川前丁の現在の場所に安置しました。石垣に張り付いたようになっているので銭型は見ることはできません。なお,上流の常磐丁の不動尊付近(現市民会館周辺)で水害その他のたびに人命を失うこと多く,反対に銭形不動尊付近では流れ着いた人を救い上げたり,水死者を引き上るなどが多いことから(中略)銭形不動尊は人助け不動と呼ばれ,信心する人が参詣に訪れています。(当地説明板)
✽ 所在地:青葉区花壇5-32先,本尊:浮彫不動明王像
127 金蛇水神社 Kanahebisui jinja
2007.03.21
金蛇水神社は岩沼市に本社がある商売繁盛の神様。仙台一番町の分霊社が有名だが,仙台の花柳界では昔から水商売の神様としての信仰があり,料亭や待合いが多く立地した立町近辺にも花柳界の神社として祀られた。
✽ 所在地:青葉区立町1-7,主祭神:金蛇大神 (水速女命)
地図で見つけて行ってきました。立地の時期などはわかりませんが,社殿内の赤提灯には芸者さんの名前が見て取れます。 今,周辺はホテル街になっています。
255 澱不動尊 Yodomi fudoson
2007.09.24
残月台本荒萩の不動堂古跡との記載に基き昭和初期に現在地北側に再建され,近年当地に移転された。境内に昭和11年(1936)付近の路傍にて発見され当地に移建された文永10年(1273)建立の仙台最古の板碑がある。
✽ 所在地:青葉区広瀬町8-1
板碑は兵衛太郎供養碑と呼ばれ,当時の風習により兵衛太郎の極楽往生を願ったもの。留守家3代家広が建立した可能性が高いと言われています。
256 川内明神 Kawauchi myojin
2007.09.24
創建年次は不明だが,藩政時代,この地に住んだ小人衆が岩沼竹駒神社の分霊を勧請したと云われる。
✽ 所在地:青葉区川内明神横丁34
上記由緒は「寄り道・道草 仙台まち歩き」(西大立目祥子著・河北新報出版センター)からの出典です。この辺りは川内明神横丁という地名です。
257 追廻明神 Oimawashi myojin
2007.09.24
由緒等わかりません。今周辺は公園整備に向けて住宅の移転が進んでいます。
※2017.4現在,当社はありません。公園整備の進捗で廃止されたものと思います。
258 宮城縣護國神社 Miyagiken gokokujinja
2007.09.24
明治37年(1904)戦没者を祀る招魂社として仙台城本丸跡に創建。昭和14年(1939)内務大臣指定護国神社に列っせられ宮城県護国神社となった。 昭和20年(1945)戦災で社殿を焼失し,翌年宮城神社と改称したが,昭和32年(1957)から再び現社名。昭和28年(1953)伊勢神宮外宮別宮風宮旧正殿を式年遷宮に当たり本殿として頒賜せられ昭和33年(1958)移築竣工。昭和38年(1963)に拝殿造営。
✽ 所在地:青葉区川内1,主祭神:明治維新以降戦歿者の御霊56,091柱,例祭:4月30日,5月1日,10月23日
順に本丸北側から旧詰ノ門跡に向かう櫓の跡の鳥居。るーぷる仙台バス停そばです。次に青葉城本丸南側,旧埋門跡の鳥居。駐車場はこちらから。次が拝殿前鳥居です。
社殿裏手には別宮の浦安宮があります。左宮は伊勢神宮四座,右宮は政宗公と白水稲荷が祀られています。昭和42年(1967)造営。
せっかくなので
仙台のイメージシンボル政宗公騎馬像。青葉城観光客も含めて大勢の人で賑わっています。私も久しぶりに青葉城観光をして参りました。 天気も良くて眺めも良し。ビールを飲んで帰りはるーぷる。結構楽しめました。
434 蠣崎稲荷明神 Kakizaki inarimyojin
2017.04.10
伊達政宗に功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。年老いたため慶長19年(1614)の大阪出陣に漏れた事を悲しみ本丸の崖から飛下り死亡したという。これを弔うため,その地蠣崎(川内追廻)に葬り,馬上(うばがみ)蠣崎神社を建て追廻馬場の守護とした。明治4年(1871)に現在地,片平丁の修験良覚院跡に移転。五島墓(ごとはか)さんとして親しまれた。
(蠣崎神社境内説明板より抜粋)
蠣崎神社が移転した跡に祀られているお稲荷さん。なんとなく入り難い雰囲気があります。青葉山庭球場の西向。青葉山の崖下です。五島が飛び降りた崖でしょうか。
✽ 所在地:青葉区川内1-11