木ノ下

木ノ下地図

「木ノ下」の地名は,この地が古今集に「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」と詠まれたことに由来する。 歌に詠まれた当時は大樹が鬱蒼と茂り昼でも暗かったという。天平時代,ここに聖武天皇の勅願により国分寺と国分尼寺が置かれ,一大伽藍を成した。 都から国府のあった多賀城までの主要街道「東山道」もここを通っていた。時代を経て国分寺は荒廃したが,国分氏と伊達政宗により復興がなされた後, 松尾芭蕉が奥の細道の旅の際に歌枕巡りで立ち寄っている。

九曜 081 陸奥国分寺薬師堂 Mutsukokubunji yakushido
2006.10.09

陸奥国分寺薬師堂 参道

天平13年(741)聖武天皇の詔により,国家鎮護の宗教的機関として各国ごとに国分寺と国分尼寺が建てられた。 国分寺は金光明四天王護国之寺と呼ばれ,法華滅罪之寺と呼ばれた尼寺とあわせて,全国で124ヶ寺になった。 仙台の国分寺創建は瓦から推定して天平13年から天平神護3年(767)に至る頃と考えられる。 創建当時は、18の伽藍、七重塔、300の僧坊、3000人の僧という壮大な規模で,近くの国分尼寺と渡り廊下で結ばれていた。 文治5年(1189)源頼朝の奥州征伐の兵火により焼失し荒廃したが,国分盛行,盛重や伊達政宗が再興した。 この薬師堂は政宗が国分寺の講堂跡に慶長12年(1607)建立したものである。

✽ 所在地:若林区木ノ下2丁目8-1,本尊:薬師如来

陸奥国分寺薬師堂本堂
本堂

広く平らな境内(史跡)に創建当時の門や廻廊の礎石が綺麗に並んでおり,昔の威容が容易に想像できます。 全体が緑で覆われ,適度な樹木と芝により,気持ちのいい公園になっています。 散策の人々やはしゃぎながら走り回る子供達がいて,時を経た仙台で一番古いお寺(の跡)がここにあります。

 

 

薬師堂の屋根が優雅に反り返る。すっきりした外観。

順に仁王門,鐘楼,七重塔跡

薬師堂仁王門は陸奥国分寺創建時の南大門跡に建ちます。茅葺が眩しい。あいにくの工事中。平成の大修理で元の姿を取り戻したばかりのようです。肝心の仁王像はまだ戻っていませんでした。

鐘楼は薬師堂と同時期の建立とされる。初めは瓦葺だったといいますが今は鉄板。広い境内にぽつねんと建っていてもの悲しい。傍を国分寺創建時に金堂と中門を結んだ廻廊の礎石が整然と並んでいます。

薬師堂の南東に七重塔跡があります。一辺が16.8mの正方形。七重塔は承平4年(934)落雷によって焼失しました。


平成26年(2014)11月22日再訪

陸奥国分寺薬師堂仁王門2014
陸奥国分寺薬師堂仁王門扁額
仁王門扁額

久しぶりの訪問です。
震災で相当傷んだ薬師堂も完全復活しています。そして今回はちゃんと仁王がいる仁王門です。とは言え,写真では仁王は見えませんね。扁額は「護国山」。陸奥国分寺です。

 


紅葉の陸奥国分寺薬師堂

もう紅葉の季節も最後。銀杏の落ち葉が絨毯のよう。小春日和で気持ちのいい日でした。

九曜 082 准胝観音堂 Junteikannondo
2006.10.09

准胝観音堂

薬師堂から市道を挟んで西側の公園に建つ観音堂。陸奥国分寺跡の陣内である。享保4年(1719)に5代伊達吉村夫人の長松院久我氏冬姫が准胝観音を寄進し小堂を建立。更に6代宗村が延享2年(1745)観音堂を建立した。堂内の厨子の中に延宝9年(1681)の准胝観音碑が蔵されている。仙台三十三観音第25番札所。

✽ 所在地:若林区木ノ下2丁目4,本尊:准胝観音

 

このお堂には冬姫が彫らせた仏石碑が床下から樹立した形で納められています。本尊の准胝観音像は陸奥国分寺本坊の本堂に安置されています。

准胝観音堂芭蕉碑
芭蕉碑
准胝観音堂 光明真言塔と庚申塔
光明真言塔(右)と庚申塔

観音堂の北側に建つ芭蕉碑には元禄2年(1689)5月,奥の細道の芭蕉が仙台で詠んだ「あやめ草 足に結ん 草鞋の緒」の句が刻まれています。天明2年(1782)建立。その左に望月宋屋句碑,延享2年(1745)建立,大淀三千風供養碑,享保7年(1722)建立。風流です。


平成26年(2014)11月22日再訪

准胝観音堂2014
准胝観音堂扁額

准胝観音堂も東日本大震災では扉が外れ,周囲の石碑群はあらかた転倒する大きな被害がありました。 今,全てが復旧して,更に堂宇は鮮やかな朱塗りになりました。仙台市登録文化財。


准胝観音堂西側石仏群
堂西側石仏群

堂の裏手(西側)にずらりと並ぶ石仏群。薬師堂境内にあったものを集めたようです。

准胝観音堂南側石仏群
堂南側石仏群

堂の正面左側に建つ三体の浮彫石仏。これも何とも言えない優雅さを漂わせています。根元の白い横筋は転倒後の補修跡でしょうか?


三つ星 083 白山神社 Hakusan jinja
2006.10.09

白山神社本殿
本殿

陸奥国分寺創建時に地主の守護神として祀られたと伝えられ,天正年間(1573~1591)に国分氏により再興,更に2代藩主伊達忠宗が寛永17年(1640)に再建した。 社殿の位置はしばしば移動しており,近年までは陸奥国分寺七重塔跡に建っていたが,現在は江戸初期の位置に近い薬師堂北西に移築されている。

✽ 所在地:若林区木ノ下3丁目9-1,主祭神:伊弉諾尊,伊弉冉尊,菊理媛尊,例祭:4月第3日曜日

 

本殿は正面1間(柱2本)で切妻照屋根(反りのある屋根)が前方に長く伸びた一間社流造(いっけんしゃながれづくり)。流麗です。

順に入口,拝殿,境内社群,境内社の天満宮

境内社が並ぶのは拝殿に向かって左(西)側。手前から須賀神社,木ノ下八幡宮,雷神社,稲荷明神。天満宮は本殿東に。

084 姥神社(木ノ下)・紫神社 Uba jinja and Murasaki jinja
2006.10.09

姥神社(木ノ下)・紫神社

向かって左が姥神社。子どもの百日咳と歯痛に効くとの信仰があり,かつては清水小路にあった。 その後五橋交番隣を経て,昭和40年(1965)国分寺の本薬師(もとやくし),正善院の聖観音と合祀されて現在地に移された。
向かって右が紫神社。昔,木ノ下丁の南を東西に走る椌木(ごうらぎ)通りの北東角の大木に洞があり,幣束を立てて「柴明神」として祀られていたのを当地に移したものである。

✽ 所在地:若林区木ノ下2丁目9-16

 

本薬師堂はかつて現在大塔が立っている場所にありました。陸奥国分寺薬師堂が造営されるまでその本尊を祀っていたと云われています。 正善院は古城の東北少年院北側にありました。

九曜 217 護國山陸奥國分寺 本坊 Mutsukokubunji hombo
2007.08.04

真言宗。陸奥国分寺復興に当たり慶長12年(1607)までに政宗公が建立した三院二十四坊のうちの三院の一つ「別当坊」が前身。三院は他に「学頭」「院主」で,交代で藩政時代の陸奥国分寺運営に当たった。筆頭は「学頭」であったという。 明治以降,三院二十四坊は徐々に衰微したが,当寺は残り寺籍を継いでいる。

✽ 所在地:若林区木ノ下2丁目8-28,院号:醫王院,本尊:薬師如来

陸奥国分寺本坊入口
入口

他の塔頭が衰微していく中で,薬師堂と同じ歴史を越えてきたお寺です(敬意)。山号は陸奥国分寺創建時の正式寺号に由来すると思われます。境内の宝物館(現在は改装休館中)には国分寺創建以来の文化財や発掘出土物が展示されているそうです。

陸奥国分寺本坊山門
山門はRC製。ガッチリした三間一戸の四脚門です。
陸奥国分寺本坊山門扁額
山門扁額

陸奥国分寺本坊大塔
大塔
陸奥国分寺本坊本堂
本堂

大塔は昭和57年(1982)落成。3間半4面高さ21m。1階に金剛界大日如来像,2・3階には仏舎利と信徒の永代供養の位牌を安置しているそうです。



平成26年(2014)11月22日再訪

何か広々してるなぁと思ったら,かつてあった門柱も山門もありません。これも大震災の被害でしょうか。結果的には逆に開放感があって,
これもいいかも…という感じです。

陸奥国分寺本坊入口2014
陸奥国分寺本坊入口2014
本堂。山門扁額がこちらに。
本堂。山門扁額がこちらに。

261 護国山國分尼寺 Kokubuniji
2007.09.30

国分尼寺山門

曹洞宗。新寺の龍泉院末寺。天平13年(741)聖武天皇の勅願により建立された国分寺と対の官寺であった陸奥国分尼寺の寺基を継ぐ。元亀元年(1570)龍泉院二世明屋梵察和尚により中興開山し天台宗から曹洞宗に改められた。本尊の木彫り聖観音は恵心僧都の作といわれ,当寺は仙台三十三観音第24番札所になっている。

✽ 所在地:若林区白萩町33-26,本尊:木造聖観音菩薩立像

国分尼寺本堂
本堂 当寺は現在は尼寺ではありません
国分尼寺三十三体観音
三十三体観音

境内整備中。本堂はつい最近の完成のようです。真新しいお堂は壮大です。三十三体観音は平成3年から8年に行われた墓地整備完工を記して有志により建立されました。


墓地の一角に和賀忠親主従の墓がある。南部和賀郡は伊達家の所領だったが,伊達政宗の小田原遅参の罰として天正18年(1590)豊臣秀吉により没収された。かつて領主であった和賀忠親は慶長5年(1600)関が原の戦いに乗じて一揆を煽動し旧領を復そうとしたが失敗。家康に召還され京都伏見に向かう途中,国分尼寺に入り慶長6年(1601)家臣とともに自決した。墓石は忠親没後120年の享保5年(1720)曾孫義直の建立。

国分尼寺 和賀忠親主従の墓
和賀忠親主従の墓
陸奥国分尼寺跡
陸奥国分尼寺跡

現在の国分尼寺の墓地北側に道路を挟んで陸奥国分尼寺跡がある。かつての金堂跡で8個の礎石が残っている。


262 姥神社(宮千代) Uba jinja
2007.09.30

伊豆佐売神を祭神とし,古くから宮城郡原町南目字志波南14番地の1(現白萩町21番地6)に鎮座。昭和28年(1953)社殿新築。個人所有地であったため,昭和42年(1967)現地に遷座し,更に昭和49年(1974)新社殿が造営された。(現地説明碑)

✽ 所在地:宮城野区宮千代1丁目4-15,主祭神:伊豆佐賣神,例祭:4月第4日曜日

宮千代姥神社全景
宮千代姥神社